071213095538

「やっぱりイランは核兵器を開発

  …といえば
していませんでした」と米政府
180°転換

ネオナチ効果

dni.govの 07/12/03の .pdf
http://www.dni.gov/press_releases/20071203_release.pdf
を開こうとしたら、
www.dni.gov のサーバからの応答が一定時間以内に返ってきませんでした。
わらし 2007/12/13(thu)09:55

イランは以前(王制当時)は米国と親しく

  関連記事
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD
一時期は、モンゴル帝国の一部だったと。

どれだけ広いねん モンゴル帝国。
わらし 2008/12/13(sat)17:44

ペルシャ方面 wikipediaから抜粋

  …といえば
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3
アーリア人 ペルシア帝国 サーサーン朝 オリエントの大帝国
ローマ帝国やイスラム帝国に文化・政治体制などの面で影響を与えた。
9世紀から11世紀のイスラームの黄金時代と呼ばれる時代、イランはその中心地
1220年のモンゴル到来によるイランの荒廃、ティムールの征服、
1501年のサファヴィー朝の成立とシーア派の国教への採用
19世紀、近代化の波がイランに押し寄せるとイラン人は改革を熱望し、
1905年から1911年のイラン立憲革命を導いた。
1950年代はじめ首相モサッデグは国民の圧倒的支持を集め
 石油の国有化を断行するが
1953年 米英の情報部による周到な計画(アイアス作戦)で失脚させられ、
 国有化は失敗
 この事件によってパフラヴィー朝のシャー、モハンマド・レザー・パフラヴィーは権力を集め、
1970年代後期に、シャーの支配は独裁の色合いを強めた。
 シャーは米英の支持を受けてイラン産業の近代化を推し進める一方で、
 市民の自由を抑圧した。シャーの独裁的統治は
1979年のイラン・イスラーム革命につながり、
 新たにアーヤトッラー・ホメイニーのもとイスラーム共和国が樹立された。
 伝統的イスラームに基づく社会改革がおこなわれた。
 同性愛者を含む性的少数者や非イスラーム教徒への迫害を含むものだった。
 対外的には反欧米的姿勢を持ち、特に対アメリカ関係では、
1979年のアメリカ大使館人質事件、革命の輸出政策、ヒズボッラー(ヒズボラ)、
 ハマースなどのイスラエルの打倒を目ざす武装組織への支援によって、
 非常に緊張したものとなった。
1980年には隣国イラクの侵攻によってイラン・イラク戦争が勃発、
 この破壊的な戦争は
1988年まで続いた。国政上の改革派と保守派の争いは、選挙を通じて
今日まで続く

http://cvlz.net/071213095538.html

2008/12/13(sat)18:01:37
わらし 2008/12/13(sat)18:02

意外に夏も暑くないけども 住むなら「終身ムスリム」になってからが吉?

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イランは意外にも
盆地・台地を隔てる山岳地が多いんだそうです。

テヘランは
冬は 0℃前後まで下がるものの
夏にも29度を上回ることは稀なんだそうです。

大部分のイラン人はムスリムで
そのうち
90%がシーア派十二イマーム派(国教)
9%がスンナ派(多くがクルド)

イスラム教徒が改宗したとバレタラ死刑...

ほかに非ムスリムの宗教的マイノリティがおり、
・ゾロアスター教(サーサーン朝時代の国教)、
・ユダヤ教、
・キリスト教諸派
までは国家公認。

・バハーイー教
は非公認。

非公認の宗教や無神論者などは
「存在を認められない」んだそうです。
わらし 2008/12/13(sat)18:24

イランが米国と親しかったのではなく

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米国の傀儡時期があり、イランから搾取しまくっていた
時期があったらしいです。
わらし 2008/12/13(sat)18:57

かつては世界人口の 1/4 とっても広いモンゴル

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ロシア、中国の両大国に挟まれ
首都はウランバートル

モンゴルでは韓国の暴力団が幅を利かせ
就業詐欺、マンションを建てる建てる詐欺が続出
わらし 2018/06/01(fri)14:00

モンゴルの現状

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http://yamatotabinootoko.web.fc2.com/mongorukoku.html
モンゴル民族の居住地域であるモンゴル高原のうち、
ゴビ砂漠以北の一帯にほぼ該当する領域を国土とする。

モンゴル民族のアイデンティティーの基礎
が出来上がったのはチンギス・ハーンのモンゴル帝国時代といわれる。

1992年には共産主義のモンゴル人民共和国から
モンゴル国へと改称、新憲法を制定し、
社会主義を完全に放棄した。

しかし、急速な市場経済化が進められ、
経済成長を重視するあまり富の公平な配分を怠り、
社会福祉を削減することで貧富の差を拡大させた。

 資本主義化後15年を経過した現在では、
貧富の差の拡大は国家的問題となっている。
また社会主義時代から官僚の

汚職体質は民主化以後むしろ悪化しているとされる。

 社会主義時代に批判されていたチンギス・ハンについては、
政府と国民が総力を挙げて復権に力を入れている。
 紙幣にまで使用されているほどである。また、
社会主義時代に全く省みられなかったチンギスハン時代の
遺跡の発掘や保存にも力を入れている。

地理
 東には1,000 〜1,500mの高原が広がり北東には
針葉樹林が広がる。あとの国土は高山砂漠とステップの植生が
南の海抜平均1,000mのゴビ砂漠まで続いている。
国土の5分の4を占める草原ステップは牧草地に使用されている。

  近年、国土の90%で砂漠化が進行しており、
6万9000km^2の牧草地帯が姿を消した。
モンゴルで見られた植物種のうち75%が絶滅、
森林伐採により、川の水位は半減、北方の森林地帯を中心に
3800の河川と3500の湖があったが、2000年以降、
約850の河川と約1000の湖が

地図上から完全に姿を消している。

 課題

1. 政治的安定性が未だに構築されておらず、
政権が変わる度に、その政策方針が二転三転することで、
外国の投資家に警戒感を持たせている。

2. マンホールチルドレン問題。ソ連崩壊による
経済的混乱及び寒波により、都市部には
数千人規模のホームレスとなった孤児がいる。
冬は気温が-40°Cを下回ることもあるウランバートルなどでは
路上で生活することが出来ず、孤児は

マンホールから地下に潜って、生き延びているという。
わらし 2018/06/01(fri)14:17

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